19日は一人で三瀬峠から背振へのドライブで、紅葉のときだけ見学できる仁比山にある九年庵周辺を歩いた。その後、佐賀市の中心にある佐賀城本丸歴史館を見学し、帰路、久しぶりに古湯温泉に浸かるルートで出かけた。
三瀬から左へ折れ、県道21号(三瀬−神埼)線の快適なワインディングロードを下り、広滝、背振峡を抜けると、九年庵、伊東玄朴旧宅、仁比山公園の表示が出てきたので公園の駐車場に車を止める。


仁比山公園には家族連れが多く、川遊びをしている。徒歩で県道に沿って歩くこと約15分、「水車の里」には神埼水車(群)の由来を記した案内と水車が一基あった。明治30年頃には80基の水車が群れをなし、製粉業が盛んで、特に神埼素麺が有名だった。美しいむらづくりの一環として、7基の水車を復元し、そのうち2基は実際に製粉、精米に活用とある。


再び、来た道を戻り、仁比山神社への道に入ったところに、伊東玄朴旧宅がある。佐賀県史跡として昭和48年に指定され、雨戸が開け放たれ玄関も開いていたので上がる。汗が止まらないけど、気持ちの良い風が通り抜けた。伊東玄朴は1800年、農家の長男としてここに生まれ、17歳で漢方医を開くが、長崎の鳴滝塾でシーボルトに師事。25歳で江戸に出て蘭方医として名声を博す。49歳のときに初めて藩主の長男に種痘を接種。61歳のときに現在の東京大医学部前身を創立した人物。
旧宅の階段を下りた所で、滋賀県醒ヶ井でも見かけた全国「遊歩百選」弥生の里から水の郷コースの案内を見つける。伊東玄朴旧宅が弥生の里からの折り返し地点なのか。
さらに奥に進むと、仁比山神社への境内に入っていく。九年庵は中を覗くことができなかった。紅葉の木が多く、秋になるとこの美しさは格別なのだろう。機会があれば是非見たいと感じた。護国寺跡、樹齢800年のクスノ木もある由緒のある神社なのだろう、パラパラと参詣している人がいた。
三瀬から左へ折れ、県道21号(三瀬−神埼)線の快適なワインディングロードを下り、広滝、背振峡を抜けると、九年庵、伊東玄朴旧宅、仁比山公園の表示が出てきたので公園の駐車場に車を止める。
仁比山公園には家族連れが多く、川遊びをしている。徒歩で県道に沿って歩くこと約15分、「水車の里」には神埼水車(群)の由来を記した案内と水車が一基あった。明治30年頃には80基の水車が群れをなし、製粉業が盛んで、特に神埼素麺が有名だった。美しいむらづくりの一環として、7基の水車を復元し、そのうち2基は実際に製粉、精米に活用とある。
再び、来た道を戻り、仁比山神社への道に入ったところに、伊東玄朴旧宅がある。佐賀県史跡として昭和48年に指定され、雨戸が開け放たれ玄関も開いていたので上がる。汗が止まらないけど、気持ちの良い風が通り抜けた。伊東玄朴は1800年、農家の長男としてここに生まれ、17歳で漢方医を開くが、長崎の鳴滝塾でシーボルトに師事。25歳で江戸に出て蘭方医として名声を博す。49歳のときに初めて藩主の長男に種痘を接種。61歳のときに現在の東京大医学部前身を創立した人物。
旧宅の階段を下りた所で、滋賀県醒ヶ井でも見かけた全国「遊歩百選」弥生の里から水の郷コースの案内を見つける。伊東玄朴旧宅が弥生の里からの折り返し地点なのか。
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