出津文化村を文学館から眺める昼食後、いよいよ旧外海町の中心地にある「出津(しつ)文化村」へ入る。町ぐるみ博物館(エコミュゼ外海)のコンセプトで、出津教会やド・ロ神父記念館を含む旧出津救助院、外海歴史民俗資料館、外海子ども博物館、沈黙の碑などを歩き回ることが出来る。


沈黙の碑文学館や文化村のあるこの地域は、キリシタンの里として知られ、遠藤文学の原点と目される小説「沈黙」の舞台となったところ。出津文化村の入り口には「沈黙の碑」が建立され、「人間がこんなに哀しいのに主よ、海があまりに碧いのです。」と刻まれている。


外海歴史民俗資料館「沈黙の碑」を見てから外海歴史民俗資料館に入った。






池島炭鉱コーナー一番興味を覚えたのは出津の沖合いにある2001年閉山した池島炭鉱のコーナーだった。池島周辺の海底に広がる炭鉱で、九州最後の炭鉱の島。約10分のビデオを見ると、海底で水圧をかけて天井を支えながら、ドラムカッター(電動式石炭採掘機械)を幅100mから180m、高さ1.8mから2.7mの範囲を往復させて石炭をどんどん採っていく構造に驚く。

2階に上がるとキリスト教の資料が多く展示されている。「当地方でのキリシタンは1571年に神父がやってきたのが始まりとされている。外海では1630年に多くの殉教者がでてから潜伏期に入り、明治に入るまで260年の間、表面上は仏教徒を装いながら密かに信仰を守り続けていた。1865年に信徒発見をきっかけにキリスト教が復活し、ド・ロ神父による新たな歴史が始まった。一方でいまもかくれキリシタンの人たちが信仰を守っている。外海は宣教から迫害、潜伏、そしてキリスト教の復活という長い歴史を歩み、キリシタンの里といわれている。」こんな歴史を頭に入れて資料館を出る。出津救助院などへの「歴史の道」の案内に沿って、昔に思いを馳せながら海に面した山の斜面を歩く。

旧出津救助院とド・ロ塀国指定重要文化財の「旧出津救助院」は工事中で、ド・ロ神父の考案したド・ロ塀とマカロニ工場の外観が見えるだけ。この救助院はド・ロ神父が村人の窮状を救うために私財を投じて設立した授産・福祉施設で、1883年(明治16年)に出来た。



マリコ・マリ・ド・ロ神父は1868年、28歳の時に長崎へ渡来し、1879年に外海地区に赴任。救助院ではパン、マカロニ、ソーメン、織物などの授産事業を始め、鰯網工場や保育所を開設。製粉場や防波堤、薬局などを造っていった。1914年74歳で亡くなり、出津共同墓地に葬られた。ド・ロ神父の偉業、「ド・ロさま」と呼ばれて敬愛されたことを初めて知った。

ド・ロ神父像ド・ロ神父記念館でオルガン演奏を聞く

ド・ロ神父記念館は神父自らが鰯網工場として1885年に設計・施工した建物で、中に入るとシスターが音楽指導のためフランスから取り寄せたオルガンを演奏し、「いつくしみふかき」を歌ってくれた。100万円かけて修理したそうだ。館内にはド・ロ神父が社会福祉や産業開発に努めた道具や絵画、作業衣などが展示されていた。

出津教会を眺める更に歴史の道を歩くと出津教会が見えてくる。少し離れた所から振り返ると教会が周囲に溶け込んでみえた。出津文化村は資料館とド・ロ神父記念館をゆっくり見て一周しても1時間あれば充分。遠藤周作文学館を加えた外海地区は、かくれキリシタンの里としてだけでなく、自然の厳しさと美しさを感じさせる時間だった。