酒蔵通りを歩き出した5月24日は嬉野温泉からそのまま福岡へ帰るのももったいないので、鹿島市の祐徳稲荷神社と、宿場町の雰囲気が残り、酒蔵元が多かったことから今も白壁土蔵が立ち並んでいるという「肥前浜宿」を訪ねることにした。

肥前鹿島市と聞いてもすぐにどのあたりにあるか分かる方はなかなか九州の通かも知れない。鹿島観光ガイドに目を通すと、有明海に面して道の駅「鹿島」前はガタリンピック会場であり、鹿島海岸には有明海で有名な「ムツゴロウ」が生息する。 祐徳稲荷神社は丁度市の中央に位置し、日本三大稲荷の一つで総朱塗り極彩色は壮観とある。海岸線を南下すると、長崎に向かう。能古見(のごみ)から平谷(ひらたに)のトンネルを抜けると、長崎県大村市に向かう。鹿島には鬼面に太鼓、赫熊を揺らして勇壮に舞い踊る「面浮立(めんぶりゅう)」は佐賀県を代表する民俗芸能があり、今は五穀豊穣への感謝を込めて市内各地の神社で奉納されるそうだ。

嬉野から祐徳稲荷神社への案内を横目で見ているとやがて、1時間半強のドライブで肥前浜宿に入る。肥前浜宿は浜川の河口に室町時代に町として成立し、江戸時代は長崎街道多良海道(多良往還)の宿場町として栄えている。
平成18年4月、「浜庄津町浜金屋町」が港町・在郷町として、「浜中町八本木宿」が醸造町として2地区同時に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、岐阜県白川郷などの貴重な伝統的町並みに仲間入りしている。

酒蔵通りの町並み「浜中町八本木宿」伝統的建造物群保存地区(通称、酒蔵通り)の「まちなみ駐車場」(6台可能)に車を置き、歩き出すと土蔵造の大型酒蔵群が多く残っている。白壁の土蔵造りの家が多く残るが、休みのせいか中に入れる店が意外に少ない。


継場「継場」の案内があるので読んで見ると、継場とは旅人の荷物を中継する問屋で、幕府の定めた人馬の料金が適用されていた。この継場は江戸時代の建物で、入口には馬をつないだ鉄の輪が残り、帳場の跡や人足が控えていた部屋もある。


唯一空いていたと言っても良い観光酒蔵「肥前屋」に入る。ここにはハミルトンホテルで見かけた焼酎が置いてあった。

観光酒蔵「肥前屋」肥前屋にある「昭和部屋」

南船津の茅葺の家後でもう一度立ち寄ることにして、浜川に架かる浜橋を越え、南船津の町に入る。
佐賀・長崎を結ぶ陸と海の交通拠点でもあった南船津から庄金(しょうきん)の町並みには茅葺や桟瓦葺の町家が今も見られる、全国でも珍しい貴重な町並みが残る。

茅葺の屋根が重そう普通に生活している細い通りを茅葺の屋根を探しながら歩くが、なんだか不思議な光景でした。きっと保存するのは大変なのだと思う。



波佐見焼の焼酎ボトル酒蔵通りの肥前屋に戻り、波佐見焼の陶工とコラボして作った光武酒造場の焼酎「魔界への誘い」のボトルを早速購入した。いまは車で酒屋に来ても各種の利き酒や試飲が出来ないのは残念でした。



旧乗田家住宅が修理された最後に「旧乗田家住宅」を探して歩くが、ぐるぐる歩き遠回りしてしまったが、何とか屋根を見つけることが出来た。鹿島鍋島藩に仕えた旧武士の家で、19世紀初頭と推測される。




旧乗田家住宅の内部佐賀県に特徴的な「クド造り」の茅葺屋根と質実で地方武士らしい表空間がある。この建物の保存修理は平成16年東京在住の方からの寄付で平成19年に完工している。


駆け足で「肥前浜宿」を歩いたが、特に南船津の茅葺の家が印象的でした。ここで時間切れとなり、またまた祐徳神社をパスして、武雄北方インターチェンジを目指した。途中、塩田町で「鰻屋」の看板を見つけて、昼食を取った。九州のタレは本当に甘いが、これはこれで慣れたら美味いですね。