10月23日午後、世界遺産登録暫定リストに載る「軍艦島」に上陸する軍艦島コースに参加した。

やまさ海運の長崎港めぐり遊覧には、湾内めぐりだけでなく、軍艦島上陸コースや軍艦島周遊コースがある。特に、上陸コースは今や大人気でなかなか予約が取れない。

NPO法人・軍艦島を世界遺産にする会の坂本道徳さんから、何年前だったか、九州国立博物館で九州の産業遺産に関わるNPOの集まりがあり、彼から軍艦島での生活ぶりを生々しく聞く機会があったので、機会があれば是非一度見学したいと思いながらなかなかチャンスが無かった。

軍艦島クルーズ








今回乗ったのは200人乗りの遊覧船「マルベージャ2」。現在1日2回、所要170分で運航されている。予約が取れても、軍艦島で上陸できなかったり、上陸してもすぐに折り返したりするケースもあり、年間約120日しか運航されないなど気象条件に左右される。

この日も実は午後は天気が悪くなり上陸できないかもしれなかったとクルーから聞き、無事見学することが出来たのはラッキーだった。

女神大橋をくぐって








13時40分、マルベージャ2は長崎港を出発した。三菱重工業長崎造船所や稲佐山などを右手に見ながら、女神大橋をくぐると、神ノ島教会やマリア像が見えてくる。

さらに、伊王島を過ぎて、海底炭坑の高島が見えてくると、いよいよ軍艦島が顔をみせてくる。

高島の奥に端島が見えてきた






海底炭坑としては高島の方が端島より大きいが、お目当ての端島(はしま)通称、軍艦島はネーミングが分かりやすい。片道約1時間のクルーズだ。

軍艦島に上陸








軍艦島に近づいてみると岸壁は想像以上に背が高い。台風や強風で波が高くなっても、大丈夫なように島全体を高い岸壁で囲っている。まるで城壁に囲まれた町の中に入っていく心境だった。

乗船場から頑丈な門を抜けると、大きな見学広場に全員が集まり、島での観光の注意事項などを聞く。
廃坑になってから35年が過ぎ、朽ち果てるのをただ待つだけなので、いつどこが崩れてもおかしくない。風化した建物はまるでSF映画に出てくる地球の廃墟のようで本当に不思議な光景だった。
3班に分かれてコンクリートで新たに作られた誘導路に沿って歩き、3箇所の見学広場でボランティアガイドから当時の生活ぶりなどの説明を受ける。

遠くに端島小中学校が見える

 端島は1890年に三菱鉱業の経営から本格的な海底炭坑として操業を開始し、1974年に閉山するまでの84年間、最盛期には5,259人もの人々が住み、日本発のコンクリート造りの高層集合住宅の全戸にテレビがあったそうだ。閉山後は無人となり、鳥が運んできた草が島を覆い、瓦礫の建物と独特の景観となっている。

坂本さんが著した「軍艦島 住み方の記憶」を歴史発見大学に参加された方から頂いた。坂本さんは実際に小・中学校の5年間を65号棟9階で住んでいたそうだ。この冊子に写真と共にある[思い出]を少しご紹介しよう。

「今でも住居の中には当時の表札や、箪笥、火鉢などがそのまま残っている。4畳半と6畳の部屋に親子5人の生活であった。トイレは共同で、風呂もなく島内に3個所あった共同風呂へ行っていた。」
「65号棟の窓はいつも人がいて眺めている。コの字方の内側には公園があり、下の子供たちを眺め、学校グランド側ではスポーツを観戦し、常に良い意味での監視状態であった。」
「端島小中学校は7階建ての建物である。4階までが小学校、5階と7階が中学校である。6階には講堂があり、左に音楽室、右に図書室があった。
朝の登校時は小学生の甲高い声と、中学生の変声期の声が入り混じり、下足箱のある1階の入口は大入り満員状態であった。大体が各学年2クラスだったから、1クラス30名だとしても500名以上の児童生徒がいっせいに、そこを目指していくのだから、その喧騒ぶりは想像していただけるだろう。」

坂本少年の島での生活ぶりが目に浮かんでくるようだった。

30号棟(1916年)と31号棟(1957年)

「地底から上がってきて、炭で真っ黒な体からゆっくり汚れを落とす。ひと時の安堵感と開放感に包まれた場所だったと思われる。作業衣洗いの浴槽はイカ墨のように真っ黒だ。次の浴槽で湯に体を和ませ地上の人になっていく。この後は自宅へ直行も、飲み屋へ直行も、それぞれの炭鉱の放課後が始まるのである。」
「住居側の岸壁は高いところで10メートルほどの高さがある。北風や台風のシーズンにはこの岸壁を高波が越えていく。」
「島との行き来に、マイカーならぬマイ船を持っている人も多かった。波が高い端島では、岸壁に船は置いておけないので、島内にみなクレーンで船をあげ保管していた。」

きりが無いので止めるが、軍艦島の往時の生活が伝わってくる。

軍艦そっくりな端島

 ふたたび乗船して軍艦島を一周して見ると、端島は確かに軍艦そっくり。米軍が間違って魚雷を打ち込んだのも分かるような気がする。約3時間の遊覧船による観光は単なる湾内遊覧とは一味違うもので、明治以来の産業振興を引っ張った石炭産業の一端に触れることが出来た。最近流行している産業遺産観光はチャンスがあれば是非お勧めだ。