"天草への旅行プランを作るための検索で、熊本県観光サイト「なごみ紀行−歴史回廊くまもと魅力発見の旅」を見つけて、ルートをチェックしていた。

道の駅不知火11月21日は九州道・松橋インターで下り、八代湾に面した266号線を走り、道の駅「不知火」で休憩。デコポン発祥地の大きな像があった。みかんが所狭しと並んでいて、小振りのみかんが甘くて美味しい。



まずは「松合の白壁土蔵群」を訪ねた。上記サイトの案内によると、宇城市松合はその昔、景行天皇が船で夜間巡航中、一筋の光の方向に船を進めて無事陸に着いたとされる「不知火」発祥の地です。


松合 田崎阿波屋松合 ビジターセンター
また、松合は江戸中期から明治中期にかけて漁業、海運、醸造の町として繁栄し、松合千軒ともうたわれ、白壁土蔵が58戸町中に現存している。1994年、住民自ら景観形成の基準を定めた協定を結び、町並みを保存しているので、町内はずいぶん整備されていた。中心にあるビジターセンター郷土資料館前に車を停め、館内で資料をもらい町を歩くと、醤油醸造の町だったのが良く解る。

松合 案内図
町の中央には仲西船溜りに面した緑地広場があり、この日も周辺を整備していた。1999年9月24日未明、台風18号が天草諸島を通過し熊本県北部に上陸したときには、高潮が松合町をあっというまに襲い、この広場には7.13mもの高さに痕跡を残している。イラスト風に描かれた地図を参考に少し歩いて回って見たが、ただ、せっかく町並みを綺麗にしても、土産屋や喫茶店等が全くなく、この町を訪れる人は土曜にもかかわらずほとんどいなかった。

次に訪れたのは、2002年に国の重要文化財に指定された「三角西港」。昨年、世界文化遺産候補となった「九州・山口の近代化産業遺跡群」の重要な一角を占めているこのエリアは立ち寄る価値のある港だった。

三角西 眺め
パンフレットによると、三角西港は明治20年に開港し、明治三大築港の一つといわれ、当時の施設が現在も残っている唯一の港。設計者は明治政府から派遣されたオランダ人水利工師ムルドルの設計によって築港された。当時の石積み埠頭、水路、橋等がほぼ原型通り残り、港湾施設と背後を含めた都市づくりが一体的に整備され、その文化遺産としても高く評価されている。

三角西 浦島屋西港に向かうと三角の形をした島が目に入ってくる。駐車場が何箇所かあるので停めて、まずは最初に、洋館「浦島屋」が目に入ってくる。明治26年7月22日、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が長崎からの帰りに立ち寄り、「夏の日の夢」という紀行文の舞台とした旅館。1992年、設計図をもとに復元した。

三角西 オランダ・カフェ遅い目の昼食を取るために入ったのが、三角港築港記念館(オランダ・カフェ)。荷役倉庫として使われていた土蔵造りの建物は、1999年にレストランとして改装されていた。天井が高く、大きな窓からは港がゆっくり眺められる。


三角西 カフェ三角西 カフェの窓
このレストランにはテラス席もあったが、この日は風が強く寒かったので座れず残念だった。



三角西 旧高田回漕店このほかにも、今は物産館として使われているムルドルハウスや、明治20年代に建てられた旧高田回漕店などは当時の面影を残している。旧高田回漕店は当時4隻の汽船を有し、荷物や乗客を扱っていた廻船問屋。


重要文化財に指定されたという言葉だけで三角西港に立ち寄って見たが、天草半島に入るときは、明治時代の歴史を感じさせるので是非寄ってみると良い場所だ。

さあ、いよいよ天草五橋を越える。残念ながら一号橋、二号橋はともに橋の修復中で眺めが悪い。それでも、二号橋を越えると、松島の島々が見えてきて眺めが良い。