1月3日の夜、福岡に戻ってきた。6回目の正月だが、福岡で過ごしていないので少し残念だが、家族と過ごす時間のほうが大事だから仕方が無い。

昨年12月、結婚記念に合わせた恒例の宿泊は、ライトアップの綺麗な門司港レトロ地区のホテルを選んだ。そして、昨年は松本清張生誕100年でもあり、小倉に立ち寄った。北九州市を訪れるのは2回目で、意外に来る機会が無い。
福岡から小1時間のドライブで、北九州市立松本清張記念館前の駐車場に到着。小倉城の敷地内にあり、記念館を見た後は時間の許す限り、周辺を歩いて見ることにした。

松本清張が朝日新聞に入社したのは知っていたが、その生い立ちや時代背景を見るのは脅威深い。最近テレビで再放送やリメイクで放送される松本清張の推理小説の数々は、今見ても大変新鮮で驚く。明治42年(1909年)12月21日に、現在の小倉北区に生まれ、昭和25年(1950年)、朝日新聞西部本社広告部に勤務しながら書いた小説「西郷札」が週刊朝日の懸賞で3等に入選。訂正された入選通知書が何故かほほえましい。昭和28年に書いた「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞し、その後作家活動に専念し、「点と線」「目の壁」などの社会派推理小説の分野を切り開く、とパンフレットに書かれている。
清張の百年の年譜が長さ22m、壁一面の巨大な年表は、まさに昭和の時代を生きてきた長さを感じさせる。歴史小説や古代史研究など幅広い創作活動に改めて驚く。1・2階には杉並区の「仕事の城」を再現しているが、ガラス越しに見える書斎や3万冊の蔵書を納めた書庫に驚く。北九州と言う舞台は、戦前・戦後の繁栄と衰退を見せる歴史的に興味の引かれる場所なんだと納得した。100年と言う節目の年に訪ねることが出来、新ためて清張の凄さを感じることになった。
地下にあるミュージアムショップで清張の単行本を買って、喫茶「石の館」で軽く食事をした。とりあえず門司港名物の焼きカレーを頼んだ。なんだかゆっくり出来た時間だった。
昨年12月、結婚記念に合わせた恒例の宿泊は、ライトアップの綺麗な門司港レトロ地区のホテルを選んだ。そして、昨年は松本清張生誕100年でもあり、小倉に立ち寄った。北九州市を訪れるのは2回目で、意外に来る機会が無い。
福岡から小1時間のドライブで、北九州市立松本清張記念館前の駐車場に到着。小倉城の敷地内にあり、記念館を見た後は時間の許す限り、周辺を歩いて見ることにした。
松本清張が朝日新聞に入社したのは知っていたが、その生い立ちや時代背景を見るのは脅威深い。最近テレビで再放送やリメイクで放送される松本清張の推理小説の数々は、今見ても大変新鮮で驚く。明治42年(1909年)12月21日に、現在の小倉北区に生まれ、昭和25年(1950年)、朝日新聞西部本社広告部に勤務しながら書いた小説「西郷札」が週刊朝日の懸賞で3等に入選。訂正された入選通知書が何故かほほえましい。昭和28年に書いた「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞し、その後作家活動に専念し、「点と線」「目の壁」などの社会派推理小説の分野を切り開く、とパンフレットに書かれている。
清張の百年の年譜が長さ22m、壁一面の巨大な年表は、まさに昭和の時代を生きてきた長さを感じさせる。歴史小説や古代史研究など幅広い創作活動に改めて驚く。1・2階には杉並区の「仕事の城」を再現しているが、ガラス越しに見える書斎や3万冊の蔵書を納めた書庫に驚く。北九州と言う舞台は、戦前・戦後の繁栄と衰退を見せる歴史的に興味の引かれる場所なんだと納得した。100年と言う節目の年に訪ねることが出来、新ためて清張の凄さを感じることになった。
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