市電で蛍茶屋行きに乗り、「新中川町」電停下車。鳴滝高校横から坂道を上がり、鳴滝川沿いに上がると、赤レンガ色の洋館が見えてきた。
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手前の「シーボルト宅跡」に上がるとシーボルトの胸像が目に入ってくる。この敷地で数人の門弟を住まわせ、研究の手伝いをさせたり、他の医師たちへの講義を受け持たせたそうだ。


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すぐ隣の「シーボルト記念館」に入った。オランダ・ライデン市にある旧宅を、玄関はシーボルトの祖父宅を、それぞれイメージして作られた。


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文政6(1823)年シーボルトは出島オランダ商館医として来日し、翌年鳴滝に塾を開き、患者の診療や門弟への教育、日本研究活動などを行っている。鳴滝塾は、わが国における西洋近代科学発祥の地として、近代化に大きな役割を果たした。

館内のビデオで、シーボルト追放事件などの史実を見た。5年の任期を終えて、彼が乗船することになっていたコルネリウス・ハウトマン号が暴風雨により、稲佐の海岸に乗り上げて出航が延期された。蝦夷・千島の地図などの禁制品が没収され、関係者が幕府に捉えられた。日本のあらゆる事象を調べた側面はあるにしても、日本にとってプラスも多かった、素晴らしい業績を残したことを改めて確認した。