10月26日、舞鶴YMCA専門学校生を西舞鶴へフィールドワークで引率。
まずは、田辺城ガイドの会の武田会長から田辺城城郭復元図の前で説明を受けた。












その上で、資料館で展示の説明を受けた。関ヶ原の戦いの前哨戦と位置付けられる籠城戦と古今伝授で知られる細川藤孝が作った田辺城は、隠居城としては全国的にも珍しく二重の堀で囲まれていた。京極家が三の丸を拡張しさらに堀割りを作ったが、堀の幅の広いことに改めて驚く。




















細川、京極、牧野家の時代も田辺大橋で人々が行き交う様がこのジオラマで読み取れる。












江戸時代の祭礼絵巻の展示も興味深い。












資料館から西舞鶴の街に出る。大きな堀割りとは別に、この背割り溝は敷地を分けるためのもの。












大橋に来ると細川の家紋があるが、これは『離れ九曜』と言い、牧野家七代目に変わったもの。












広っぱでは、見通しが効かないように道を作ってある。




















色々新たな発見もあったが、ドイツやイギリスなどは戦史として関ヶ原の戦いを分析したと聞いたが、舞鶴の歴史の価値を聞いてみたい。