今はオーバーツーリズムが嘘のように、どこにも行けなくなり、しばらくそんな言葉が吹っ飛んだようなコロナショックまっただ中です。


オーバーツーリズムとは、観光客が多過ぎて、住民も観光客も不快な状態をさしている。


代表的な例として、日本では京都。スペインのパルセロなやイタリアのベニス、オランダのアムステルダムなどがその代表として紹介されている。


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(京都駅前の市バス乗り場)

まあ、多過ぎても少な過ぎても問題なわけで、人口が減りその街が維持しにくくなると、空き家が更地や駐車場になり、いつしか懐かしい景色が消えてしまったりする。

その解消のため、古民家を宿泊施設やカフェなどに変え、街を案内したり。もちろん、観光客は移り気でそれすら出来なくなるかもしれない。


ただ、市民がそんなことを望むなら、いろんな可能性があるのではないか。若者が移り住み、生業に携わり、やがて、その町に住む人々を訪ねて各地から人が訪ねてくる。そんな賑わいを夢見ることは可能だ。

欧州各地にはそんな個性豊かな町が随所にあるように思う。


京都市の祇園町の景観を見ると本当に美しいと感じる。

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(2月24日、祇園町も観光客が少ない)


私の関わっていた舞鶴市にもそんな景観があるが、地方では住民の意思で消えるかもしれない。快適さも必要だが、歴史を感じる街並みを残しておけばよかったと思ってもなくなるともう二度と戻らない。

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(西舞鶴、吉原入江の変わらぬ景色)


観光客にも見捨てられるような景観では、町並みを維持できないし、いつ来てもほっとする景観を残したいものだ。

どこも町の総合力が今試されているように思う。


ところで、国が定めた総合基本計画は義務化されていないが、今も設けられている市町が多い。


人口減少や高齢化による町の衰退や発展はあり、世界の潮流である旅行や移動人口は確実に増大化する。そのエネルギーを地域のブランド化につなげ、5年後、10年後、いや50年後にどんな町にしたいかを明示しても良いのではないか。残念ながら、総計にそんな未来図を示したものはない。

観光による地域ブランド力を活用し、地域を保全していく。そんな「観光ヴィジョン」が描かれる時期に来ていると感じるのは私だけではないと思うがどうだろうか。