翌朝は流石にまだお腹が減っていないので、7時から嬉野の温泉街を50分散歩しました。

嬉野川沿いに東に向かって歩き和多屋別荘まで戻ってくると、「溝口(町木戸)跡」の案内を見つけ読んで見た。
「江戸時代長崎街道の嬉野の宿場は、当時、嬉野湯宿あるいは嬉野湯町と言われ、町の東西端に町木戸を構え、宿場の境界を示しこの場所を溝口と呼んでいた。宿場の長さは約500m、30軒余の旅籠、木賃宿や商家など百軒ほどの藁屋根の家が並んでいた。嬉野川沿いに藩営の温泉浴場が設けられていた。」
想像するだけでも楽しく、せめてこの温泉浴場が今もあればよいなと思いまた歩き出した。
新湯へという石碑を見つけて矢印に向かって歩くと、嬉野宿の石碑と赤い温泉橋を見つけ、渡るとそこが「嬉野温泉公園」だった。

昔は公園前の川でボートを浮かべていたという案内板があったが、対岸の洋風の建物を見るのは楽しい。公園から旅館大村屋へ歩くと、シーボルトが温泉豆腐を食したり、古湯温泉に入浴したという古い案内板を見つけた。横にある空き地が新たに公衆浴場を作る動きがあるのか整地されていた。

温泉情緒の無い嬉野温泉の歴史を感じさせる古湯温泉が復活することを願うのは私だけではないのではでしょう。長崎街道が来年のNHK大河ドラマ「竜馬伝」で注目されるのに間に合うようにとかんがえているのだろうか。
朝食後は、露天風呂が男性用に入れるので、すぐに行って見ると、僕一人だけ。女性の泊り客が多いホテルだけに男性もそれなりにゆっくり出来るようだ。
突然決めたホテルだったが、前から泊まりたかっただけに期待通りにホテル滞在が楽しめました。
突然決めたホテルだったが、前から泊まりたかっただけに期待通りにホテル滞在が楽しめました。
コメント