JR有田駅で降り立つのは初めてだった。窯業関係の仕事をしているKさんに駅で出迎えてもらって案内されたのが、日本料理「保名(やすな)」。焼き物の町の割には有田には良いお店が少ないとこぼしていました。


呉豆腐の突きだしの後に出された、大きな有田焼の蓋付きのお弁当にはびっくり。
上品な料理でしたが、初対面のKさんとの会話に忙しくて、あまり味がわからなかった。お店は良い雰囲気でした。
昼食もそこそこに、さっそくKさんの会社に案内され、有田焼きの製造工程を見学した。往時には工場を7つも持っていたのに、現在は1つでやっているそうで、規模の縮小がうかがわれる。 工場見学後、簡単に有田の町を案内してもらった。
まずは、天狗谷窯跡に。有田焼の創業期を代表する江戸前期の窯。李参平や家永正右衛門たちが関わったと伝えられている。
Kさんが有田で一番好きな場所ですと案内されたのが、「泉山磁石場」。この距離感がわかりにくい、眺めには感動すら覚えた。日本の磁器発祥の地、有田は17世紀初頭、朝鮮人陶工李参平がここ「泉山」で陶石(磁器の原料)を発見したことで始まっている。
泉山口屋番所跡のそばには「大公孫樹」がそびえたっていた。400年前、有田町が田中村と呼ばれていたずっと以前から見守り続けてきた1000年樹。
窯業大学校やポーセリンパーク内にある有田焼工房を見学。ポーセリンパーク敷地には染付職人尽し絵図大皿を基にした陶壁画が10枚。当時の場景が良く分かる。
この壁画は2枚目。唐臼で細かく砕かれ、笠をかぶった人夫がかついだ「担いてぼ」には、粉末が濡れないようワラで覆ってある。
列車の時間待ちに入った喫茶店は4面の壁にコーヒーカップがずらり。
有田駅名看板や柱は有田焼。残念ながら駅前がタクシー乗り場で良い写真にならないのは残念。タクシー乗り場が少し横にあれば絵になるのが残念。
これまで何回となく車でやってきたが、地元の方に案内されて初めて有田焼の歴史を感じることが出来た。大いに賑わったときに、歴史資料館などが整備されていたら、陶器市でにぎわう有田とは違う顔が見れたのに残念だなと思いながら、普通列車で大好きな武雄温泉に向かった。

昼食もそこそこに、さっそくKさんの会社に案内され、有田焼きの製造工程を見学した。往時には工場を7つも持っていたのに、現在は1つでやっているそうで、規模の縮小がうかがわれる。 工場見学後、簡単に有田の町を案内してもらった。



窯業大学校やポーセリンパーク内にある有田焼工房を見学。ポーセリンパーク敷地には染付職人尽し絵図大皿を基にした陶壁画が10枚。当時の場景が良く分かる。

この壁画は2枚目。唐臼で細かく砕かれ、笠をかぶった人夫がかついだ「担いてぼ」には、粉末が濡れないようワラで覆ってある。


これまで何回となく車でやってきたが、地元の方に案内されて初めて有田焼の歴史を感じることが出来た。大いに賑わったときに、歴史資料館などが整備されていたら、陶器市でにぎわう有田とは違う顔が見れたのに残念だなと思いながら、普通列車で大好きな武雄温泉に向かった。