日本人移民の歴史を訪ねようと、パパイコウにあるハワイ・プランテーション博物館を訪問。
入り口には収穫したサトウキビを流す木の橋などを紹介している。
最盛期にはハワイ島だけで66の砂糖製造会社があった。
日本人のハワイへの官製移民は1868年からの3年契約で始まった。
サトウキビを収穫してから剥くときに歌ったホレホレ節の掲示。
年齢を偽った写真を頼りに日本から嫁いで来た花嫁あり、労働組合の活動あり。
こんな賃金表もあった。
いろんな国から多くの移民が入植していたことを知った。
3年契約後すぐ日本に帰ったり、そのまま残った人あり、頑張ってお店を始めた人あり。日本とハワイを結ぶ移民資料館でした
さらに北上し、プランテーション時代の工場や体育館跡、事務所の残るオオカラの町を横目で見ながら走り抜けた。
別の日にコーヒー農園を訪ねたが、そのスタートはプランテーションが相次いで閉鎖されてなのですね。マンゴーやパイナップル、コーヒー園などに転用されて行ったハワイの歴史を実感しました。
この後、いわばプランテーション・ロードを走り、ハワイ人の心の故郷である「ワイピオ渓谷」に向かった。