12月30日、岡山県日生港から小豆島へフェリーで渡った。年末恒例の家族旅行は、祖父が小豆島土庄町に住んでいた出自を知る旅でもあった。

祖父は船大工として朝鮮半島に渡っていたことは知っていたが、オリーブの事で小豆島に行くと母に伝えたら、戦後帰国し土庄町に住んでいた祖父母を私の父母が結婚前後に訪ねて何回か行ったと言う。












前回は2011年春。九州で始めたオリーブ栽培普及の勉強のため小豆島に渡り、東洋オリーブ社を訪問している。












今回の宿泊先は土庄町で四国側に面しているシーサイドホテル松風。
夕方5時、地元の南堀さんにわざわざホテルロビーに訪ねて来てもらい、土庄町の概略を伺った。












私の本籍地・香川県大川郡志度町が正面にある。8kmの距離しかなく近い。昔はフェリーも出ていたそうで、本籍地と祖父の住んでいた土庄町がつながった。












31日、9時にホテルに再び来て頂き、土庄町を案内してもらった。

土庄町には塩田がたくさんあり、赤穂市との往来も多かったようだ。高見山が削られ、この先が中心地で、左に行くと土庄港。












高見山が削られ新しい道が出来たが、この辺りに祖父は小さな畑を持ち、死後に財産放棄した。












西光寺は1200軒の檀家があり、過去帳から系図が分かるかもしれない。












また、南郷墓地に身内が埋葬されているのかもしれない。真言宗や浄土真宗の墓がある。両墓制で有名だそうだ。












世界一狭い海峡が土庄町役場前にある。












北前船に関係のある常夜灯が唯一残っている。他は高松にある資料館にあると聞く。












天草四郎の地・天草半島にキリシタン教徒弾圧後、強制的に小豆島中山地区の人間が移住。最近出身者との交流が新たに始まっている。












西光寺の土塀を背景に南堀さんと記念撮影。









手に技術のある船大工は木材のある台湾やベトナム、韓国などに渡り、戦後一時的に帰っていた人がいたそうだ。 
土庄町に船大工が多く住み、塩飽諸島とともに北前船など多くの船を作って来た歴史や、自由に各地に移り住んで行く気質があることを知ることができた。

土庄町に住む南堀さんに1時間ほど街並みを案内してもらい。小豆島がより身近に思えた2日間でした。