舞鶴では今、西舞鶴の吉原地区の景色を見に外国人が来ている。
2013年からインバウンド・プロモーションに取りかかり、写真家やブロガーの取材を舞鶴で積極的に受け入れてきた。そして2015年からは意識的に反応の良い吉原を必ず案内してきたが、その発信の甲斐もあって吉原の古い街並みが原風景の一つとして認められてきたことは喜ばしい。
思い出すのは高野川沿いの北前船由来の街並み。市の観光チラシやポスターなどで紹介されていた景色が今は見る影もないように思う。それはそれで地域の意思なのでやむを得ないことなんだろうが今となってはもったいない。
吉原は290年前に今の地域に強制的に移されたので計画的に家々が長屋風に長く続く独特の景観だが、江戸時代からの家が2軒、明治前半、後期から大正期、昭和初期の家も多く残る貴重な街並み。
吉原も時代の流れでここ数年空き家が増え、行くたびに更地が増えているように思う。今の場所に移ってきて290年経ち、地域ではプロジェクト300という活動が始まったと聞いている。不動産物件も出始めているし、今の街並みを残そうと思うなら急いで何かしら規制をかけないと五月雨式に江戸時代からの漁師町としての景観が失われていくのではないか。
景観を地区として残すためには、京都府景観条例に登録したり、或いは市町が指定した伝統的建造物群保護地区とする必要がある。
毎年8月16日には吉原の万灯籠(まんどろ)という勇壮な火祭りが江戸時代から続く。京都府登録無形民俗文化財。
ところで、国が保存すべきと認定した重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)は全国で118地区ある。重伝建の中で、漁村地区は2007年に認定された伊根の舟屋地区と2017年に認定された徳島県牟岐町出羽島の二カ所のみ。ここに吉原が加わることを夢見るのは僕だけではないだろう。
色々な規制があるとはいえ、街並みを残すには修復などにもお金がかかる。20年後、30年後、いや未来に残しておいて良かったと言われる判断が今求められる。