4月22日の午後3時、思いがけず奄美大島の富田酒造場での酒蔵見学がひょんなことから実現した。

前夜、「島の居酒屋むちゃかな」で、さまざまな黒糖焼酎を飲んでいるけど、どの銘柄が自分の好みなのか分からない。そこで、どこか見学できる酒蔵はないかと店にたずねたところ、すぐ近くに富田酒造場があるとのこと。翌朝、早速電話で問い合わせると、午後3時から他のお客さんと一緒であれば見学可能とのことで迷わずお願いした。

目の前に積まれた黒糖の箱。
驚いたことに、この酒蔵で使われる黒糖の9割が沖縄産とのこと。実際に、箱を開けてもらい、匂いを嗅ぎ、舌で少し味わってみると、島によって風味が違うことが分かった。黒糖には純黒糖と加工黒糖があり、奄美の黒糖はざらめとして使われ、黒糖焼酎にはれんが糖が使われる。
奄美には25軒の酒蔵があるが、その90%が沖縄産の黒糖を使うと言う事実に驚いた。ちなみに、米 50kgに対し黒糖純黒糖を70kgも使用するそうだ。

場所を移ると、たくさんの甕が並んでいた。32個の甕があり、小さな酒蔵のため、仕込みは4回に分けて行われる。

甕の中では、黒麹菌から酵母が出来るまで 約1週間、

アルコール発酵に約2週間要し蒸留期間を入れると約1ヶ月かかるそうです。通常、熟成には1年かけるそうだが、富田酒造場では7ヶ月寝かせた後に瓶詰めし出荷しているとのこと。年間10回の仕込みのうち、1回は徳之島の黒糖と日本米で仕込んだ「まーらん舟」という特別な焼酎を作っているそうです。

いよいよ試飲の時間です。残念ながら、どの銘柄を飲んだか覚えていないが、「竜宮」「らんかん」「琥珀」、そして特別な「まーらん舟」の3種類と「蔵和水」(12度)を味わった。
個人的には「まーらん舟(33度)」の独特な風味が気に入った。
富田酒造場は冨田家兄弟と従兄弟の3人で営むこじんまりとした酒蔵。案内してくださった弟の富田圭佑さんの巧みな説明は、まるで物語を聞いているようで、とても楽しい時間だった。
「奄美の黒糖焼酎」は奄美群島でしか製造することが許されていない特別な焼酎。
その歴史は、サトウキビから黒糖が作られるようになり、薩摩藩が1745年に奄美に対し、米の代わりに黒糖を年貢として収めることを義務付けた時代に遡る。
鹿児島の歴史学者、原口泉先生の著書「西郷どんと呼ばれた男」でも、奄美で潜居した西郷隆盛が島の特産物・黒糖を隠匿したと疑われた島民を救うため役人と直談判して釈放させたというエピソードが紹介されている。この話からも、当時の島民たちが過酷な生活を強いられていたことが窺い知れる。
奄美ではもともと泡盛が造られていたが、1945年の第二次世界大戦終戦前後に米が入手困難となり、黒糖を原料とした黒糖酒が造られるようになった。しかし、黒糖酒はスピリッツに分類され酒税が高かったため、奄美の人は焼酎作りを強く望んでいたそうだ。そして、1953年、奄美群島が日本に復帰した後、米麹を使用することを条件に、黒糖焼酎の製造が特例として認められたのです。酒蔵見学は、このような奄美の歴史と深く結びついた黒糖焼酎の誕生史から始まった。
これまで、黒糖焼酎と言えば「レント」しか飲んだことがなく、正直なところ、あまり美味いと感じなかったけど、今回の酒蔵体験をきっかけに自分に合う黒糖焼酎をもう少し探そうと結局滞在中の四日間毎日、少しずつ銘柄を変えて飲んでみた。
試した銘柄は以下の通り。
・昇竜 30度 (原田酒造)
・六調 30度 (奄美大島開運酒造)
・紅さんご 30度 (奄美大島開運酒造)
・高倉 30度 (奄美大島酒造)
・まーらん舟 30度(富田酒造場)
・まんこい 30度 (弥生酒造)
・長雲 30度 (山田酒造)
・珊瑚 30度 (西平酒造)
記憶に残っているのは、華やかな香りの「紅さんご」とやはり富田酒造場の「まーらん舟」。奄美の豊かな歴史や自然を感じながらの酒蔵体験は本当に素晴らしいものだった。
最後に体験料1人1,000円を払うと、お土産に「蔵和水」を頂いた。得した気分だ。